ホラー映画「the EYE(THE EYE)」

オキサイド&ダニー・パン監督 2001年 香港−タイ

物事の見方の多様性と、理解してくれる人がいることの大切さを、ホラーの要素を用いて物語っている。作品のメッセージと手法の組み合わせを巧みに計算している

〔1〕プレミス(Premise)
ストーリーが発展していくための基礎となるアイデア
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角膜移植を受けた女性が、普通の人には見えないものが見えるようになる。


〔2〕ストーリー(Story)簡略に
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幼い頃失明したマンは20歳で角膜移植手術を受ける。視力を回復するが、普通の人には見えないものが見えることに気づく。
恐怖の日々が続き、これを宿命として受け入れる。
だが新たな事実に直面してアイドナーのもとを訪ねる。そこでマンは「見える」ことの苦難を乗り越える。
 

〔3〕Main Character(主な登場人物)
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△マン・ウォン
 角膜移植手術を受けて視力を回復する20歳の女性(2歳のときに失明する)。
 
△ワ・ロー
 心理療法士。マンの担当療法士。

△インイン
 脳腫瘍を患う少女。病室でマンと友達になる。
 

〔4〕・1 モチベーション・行動・ゴール
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〈モチベーション(動機)〉
作品の冒頭でのマンの状況は、盲目の20歳の女性である。彼女は角膜移植手術を受ける。

〈行動〉
手術後、普通の人には見えないものが見えるようになったマンは、直面するプレッシャーや困難に困惑し、心理療法士ワに助けを求める。精神的に不安定だと思われて信じてもらえずに、部屋に引きこもって「見える」ことを拒否する。

心理療法士ワが心配して会いにくる。またインインに勇気づけられて力づよく生きていく決心をする。新たな事実に直面するも、ワと共に行動して問題解決を図る。

〈ゴール〉
「見える」ことを受けとめ、人々を助けようとする。様々な体験をして、理解してくれる人を得る。


〔4〕・2 バイオリン
―――――――――――――――――――――
マンは盲目の人々から成るバイオリン演奏団の一員である。
視力を回復したために、発表会でバイオリンを弾くことができなくなる。
 
バイオリンは、盲目だったマンとずっと一緒だった物である。心理療法士ワに信じてもらえないマンが部屋にとじこもってバイオリンを弾きつづけるシーンがある。これは「見える」ことを拒否するマンの心境を、映像と音で表現している。


〔4〕・3 キャラクター・アーク(Character Arc)
ストーリーの中でのキャラクターの経験を通して起こる、キャラクターの性格や価値観の変化
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角膜移植前のマンは愛情豊かな家族に囲まれた静かで落ち着いた生活をしていた。幼い頃失明したので、1人で外出することもできる。

角膜移植手術を受けて視力を回復したマンは、聴覚や触覚の世界から、そこに視覚が加わった世界に生きることになった。慣れない世界での状況の変化(バイオリン楽団の正式メンバーを外される等)などによるプレッシャーや困難に直面しながら、やがて普通の人にはみえないものが見えることに気づく。

そのことを人に理解してもらえない苦しみを経験する。やがてアイドナーの苦しみを知ったとき、マンは宿命を受け止めて力づよく行動するようになる。

 
〔5〕Comments(論評、批評、意見)
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物事の見方の多様性と、理解してくれる人がいることの大切さを、ホラーの要素を用いて物語っている。作品のメッセージと手法の組み合わせを巧みに計算している作品である。

主人公のモチベーション(動機)は大事だ。主人公が行動を起すきっかけとなるモチベーションを観客に納得してもらうために、説明セリフや回想シーンを使うことがある。これらはあまり有効ではない。どちらも現在のストーリーを進めるものではなく、出来事の流れを止めてしまうからだ。主人公のバックグランドをたくさん描けば描くほど、現在のストーリーは進展しなくなる傾向がある。

この点、「the EYE」ではモチベーションに説明セリフや回想シーンをほとんど使っていない。その必要がないからだ。

幼い頃失明した20歳の女性が角膜移植手術を受けることに疑問を持つ観客はまずいないだろう。見えるようになることはよいことであり幸せなことである、と多くの人は思っているからである。(夜中に目が覚めてトイレに行こうとしたとき、電球が切れていて困ったとい
う経験がある方もいるだろう)

角膜移植手術を受けて視力が回復したことは、マンが新しい世界に足を踏み出すことを意味する。新世界での戸惑い、困難、プレッシャーを感じる主人をサポートするために、心理療法士のワ・ローがヘルパーとして登場する。

ここでもワ・ローがなぜマンを助けようとするのかという問(モチベーション)についての基本的な回答をすることができる。それは、ワ・ローはマンの担当心理療法士だからである。

マンが普通の人には見えないものが見えると助けを求めにきたときに、ワは精神的不安定と診断してマンを信じてあげることができない。 だがワは、部屋に閉じこもるようになったマンを心配して会いにくる。やがてマンのことを信じたワは、真のヘルパーとなる。

このように、作品の大事なモチベーションについて、とてもスムーズに観客が
納得するようにできている。そのため、モチベーションを説明するための説明セリフや回想シーンを使う必要がなく、登場人物のキャラクター性は現在のストーリーの中での行動を通して描かれている(ワが職務を超えてマンを信じるようになる)

ホラー性については、怖がらせようとすればするほど、たいして怖くなくなってしまうことがある。

人里離れた森の中、漆黒の闇に佇む古い洋館、雨が降りだし、風が木々の葉を揺らし……。といった演出をすると、さぁ出るぞ、もう
出るぞ、怖いぞぉ怖いぞぉというお決まりのパターンになる。怖そうな要素(古い洋館、夜、雨、雷)だらけになると、ほかに怖い要素が出てきても、たいして怖くない。

ある無人島に後ろ足2本だけで歩く犬が100匹いるとしよう。この島で生まれ育った人には、後ろ足2本だけで歩く犬のスゴさはわからない。

なぜなら島の犬はみな後ろ足2本で歩き、4本足で歩く犬はいないからだ。つまり、なにかを強調したいときや、なにかを特別なものとしたいときは、基準となるものを置かなければならない。

マンは時間や場所を問わずに霊の姿を見る。日常の生活で普通に見えるものが実は霊の姿なのかもしれない。日常という基準に、普通の人には見えないものが見えるという要素を組み合わせることで、恐怖が際立つのである。

たとえばエレベーターのシーンである。マンにはエレベーターの中に「なにか」が見えるので、乗り込むまずにいると、あとからきたカップルがそのエレベーターに乗り込んで何事もないように扉を閉めるのだ。(ちなみにこのシーンではエレベーター内に設置されたカメラの映像が効果的に用いられている。どうやら機械を通した映像を見てもマンには霊は見えないようだ。直接見ると霊が見えるのだ)
 
ホラーの手法では、恐怖を想起させるために主観ショットを効果的に使っている。

手術後、包帯を取ったマンはまだ視力が弱く、強い近視の状態である。遠くのものがぼやけて見える。だれかがいるようだけれども、それがどんな人でなにをしているのかはよくわからない。

幼い頃に失明したマンは「見える」ということが初めての経験に近いので、いま見えている人が多少奇妙に思えても、それが明らかに「奇妙」だと言い切れる自信がない。そのため、その「奇妙」に思える相手にも声をかけたり、会話したりする。
 
近視の人はたくさんおり、眼鏡やコンタクトレンズを取ったままで生活することの困難さ(視力の程にもよる)は理解できる部分はあるだろう。

例えば、数十メートル先にだれかがいるのだが、霧に包まれて、またはぼやけて、それがどんな人だかわからないという状況を想像していただきたい。

「よく見えないもの=よくわからないもの」に対して、人間は恐怖を感じる。わからない物や事に名前を付けるのは、対象を「みえる」「わかる」ものとして認識すようとすることで、恐怖感を抱かないようにするためでもある。

主観ショットで、視界がぼやけていて、どんな人なのかわからないという状況を作りだす。こういった不安定な状況に音響効果を効かせて、不安感から沸き起こる恐怖をさらに増幅させている。

「よくわからないもの」に直面した人間は、それを「わかるもの」にしようとする。それでも「よくわからないもの、理解できないもの」に対しては、状況によって、大きく分けて以下の2つの行動をとる。
 
〈1〉「よくわからないもの」が自分たちに有利に働く場合は、それを神聖なものとして崇める。

〈2〉「よくわからないもの」が自分たちに不利に働く場合は、それを排除しようとする。

ふつうの人には見えないものが見える人は、人々に信じてもらえず、「よくわからないもの、人」として避けられるようになる。

「見える」ことによる困難、苦しみを経験して、「見えない、見ない」ことにするが、それでも人々を助けようとする。こうした自分の行動を理解してくれる人がいるかいないか――。

「the EYE」は人が生きていくうちで最も大切な事柄(人と人とのつながり)を描いている。メッセージと題材とストーリーの組み合わせが見事である。

作品を最後まで観ると、「見えない」=不幸とはかならずしもならない、という考えを知ることができるだろう。「見える人」にとっては「見えない」ことが不幸と感じることはあるだろう。だがそれは「見えない」から不幸ということにはならない。

たとえば、車がない生活を想像してみるとよい。自分が生活している圏内(村、町)に車がないという人は世界にたくさんいる。たしかに車は便利だ。たくさんの荷物を運べるし、遠くに早く移動することもできる。

だが車がないからといって不幸とは限らない。車がなくても馬があるとしよう。住んでいる地域は山岳地帯で、人々は猟で生活している。車が通れる道はない。車を持っていても走らせる道はない。走らせるためには山の木々を切り倒して道を舗装しなければならない。車のエンジン音で獲物が逃げてしまう。

そうなると、車を持っていることがはたして幸せだろうか。つまり、車を持っているから幸せという考えはひとつの見方にすぎないのだ。

そういった意味で「the EYE」は、物事の見方の多様性というメッセージを持っている作品である。

主演のアンジェリカ・リーさんは、目にとても力のある女優さんである。視力を回復させていく過程の演技がとても上手である。

たとえば、同じ病室で友達となったインインと二人で写った写真がある。写真を撮ったとき、マンは包帯が取れてすぐのため、視力がとても弱い。その様子(目の焦点が微妙に定まっていない)がマンの表情にとてもよく表れている。

気になったことは、声や音響効果だ。監督は、音響と映像の関係に非常にこだわりを持っている、という。ホラーシーンでは音響のボリュームがとても大きい。音だけで充分に怖い。ホラーシーンでは映像よりも音が主役になっている。

マンは角膜移植手術により普通の人にはみえいいものが見えるようになるが、普通の人には聞こえない声も聞こえるようになる。「見える」ので聞こえる、

「見えない」ので聞こえない、となると、盲目だったマンはなにも聞こえなかったのだろうか。そんなことはなく、盲目だったマンはバイオリンを弾いていることからもわかるようにちゃんと聞こえている。
 
失明した人が第六感が鋭くなり、霊と話せるようになった、という設定の物語もある。

目を瞑る、つまり、見なければ聞こえない。目を開ける、つまり、見えるから聞こえる。というのは宿命を見る(直視する。受け入れる)ことはすべての事柄(聴覚、触覚等)や行動や生き方に関係することだ、ということを表現しているのかもしれない。

音響効果が特徴的で、心臓の弱い人はある程度覚悟して観る必要がある。ホラー性が大きく宣伝されているが、それは観客をひきつける要素のひとつであると同時に、メッセージを伝えるための効果的な要素である。ホラーでありつつ、作品のメッセージやドラマがしっかりしているのだ。

CG技術は必要なところにだけ使われている。抑制のきいた効果的な使い方だ。
 
作品のラストシーンで、マンは街でワに会う。そこでふたりは触れ合うことなく、向き合ってお互いを意識する。

親しい人が亡くなってさびしく感じるのは、その人が醸し出す「空気」をもう感じることができないからだともいう。

信じる人や理解してくれる人が傍にいる幸せが最もよく伝わるラストシーンだ。


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posted by タカ at 00:22 | TrackBack(0) | ホラー(アジア)

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