ホラー映画「ドーン・オブ・ザ・デッド(DAWN OF THE DEAD)」

ザック・スナイダー監督/2004年/アメリカ
『 ゾンビ―DAWN OF THE DEAD (1978)』のリメイク作品

時代を象徴する「スピード感」に、セットアップとエンドロールの巧みさが光るゾンビ作品

〔1〕ログライン(Log line)ストーリーを述べてある一文
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突如、原因不明の病が世界を覆い、死者がゾンビとなって、生きている人間を襲う。


〔2〕ストーリー(Story)簡略に
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看護士のアナが朝目覚めると、近所に住む少女が寝室の入り口に佇んでいた。血まみれだ。アナの夫が少女に駆け寄って様態をみようとする。

そのとき少女が噛み付いた! 夫は血を噴き出して数分で亡くなる。――が、すぐによみがえり、アナを襲いはじめる。

アナはなんとか家の外へ避難する。ゾンビたちが町を暴れ回っているなかを車で走り出す。途中で事故にあい、意識を失うアナ。

意識を取り戻すと、生きている人間たちに出会う。アナたちは町のショッピングモールに避難する。

やがてもっと安全な場所を求めてショッピングモールを出ることにする。群衆となって襲いかかるゾンビの山を、補強した2台のシャトルバスで突破して、港から船でゾンビのいない安全な島をめざす。


〔3〕Main Character(主な登場人物)
―――――――――――――――――――――
△アナ
 看護士


〔4〕Comments(論評、批評、意見)
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時代を象徴する「スピード感」に、セットアップとエンドロールの巧みさが光るゾンビ作品。

ジョージ・A・ロメロ監督の「ゾンビ(DAWN OF THE DEAD)」では、ゾンビの動きはゆっくりだった。

足をひきずるようにしてゆっくりと徐々に近づいてくるのだ。ゆっくりした動きは、異形なものが象徴する恐怖の対象への想像力を刺激して、じわじわと外堀が埋めたてられていく感覚を味わうことができた。

これに対してスナイダー監督の「ドーン・オブ・ザ・デッド」では、すべてのゾンビがアスリートにでもなったかのような猛烈なダッシュを披露する。それは十日間なにも食べていない肉食猛獣百匹がひと切れの肉をみつけて猛然と突進するかのようだ。

時代を象徴する「圧倒的なスピード」。
ロメロ監督の「ゾンビ」をはじめとする当時のゾンビ作品は、なにか得体のしれない異質なものが、自分たちの伝統やテリトリーをじわじわと侵してくることへの嫌悪や恐怖を描いていたという一面がある。嫌悪や恐怖はあくまで「じわじわ」とやってくるものだった。

これに対してスナイダー監督の「ドーン・オブ・ザ・デッド」のゾンビは、言うなれば「ソッコウ(速攻)」である。ゾンビに噛まれた傷の大小により感染(死)への時間的に早い、遅いの差はあるが、「死→ゾンビ→生者を襲う」という段階がアッという間に進行するのだ。

ゾンビになったら、たとえついさっきまで最愛の人だったとしても、一瞬の躊躇もなく頭を破壊するか炎で焼き尽くすかしなければ、自分の身が危険になるのだ。

人の移動を例に考えてみても、かつては馬に乗っていたのが、モーターバイクや車や電車にとって代わった。データの移動を例に考えてみても、かつては人が配達していたのが、インターネットを使えばわずかな時間で地球の裏側へだって送ることができる。

現代を象徴するのは「スピード」だ。人類の歴史のなかでも最近100年の急激な科学技術の進歩による、人間を取り巻く環境変化のスピードはおそろしく速い。

「速さ」「スピード」への反動として、本来、人間が自然とともに共存していたであろう、はるか昔の時間の流れを取り戻そうという考えが、例えば「スローライフ」といった言葉で表現されることもある。

恐怖とはなにか。それは時代や人によってさまざまだ。

だが現代では、スピードが恐怖の対象となっている。それは、ビジョンなく走り続ける人間がやがて自然界から大きなしっぺ返しを受けるかもしれないという不安と自責の念が入り混じった複雑な感情が基になっている。

ロメロ監督の「ゾンビ」とスナイダー監督の「ドーン・オブ・ザ・デッド」の違いをもう1点挙げよう。それは恐怖の対象が人間かゾンビかという点だ。

ロメロ監督の「ゾンビ」をはじめとするゾンビ作品群は、ゾンビが襲ってくるという内容であっても、強く描かれたのは「人間」――人間の本性といったものだった。

スナイダー監督の「ドーン・オブ・ザ・デッド」は、ゾンビが襲ってくるという内容であっても、強く描かれたのは「時代のスピード」だ。

ショッピングモール内における人間関係での対立はいくつかあるのだが、それは人間のエゴや自己保身や傲慢や貪欲などの負の面をじっくり描くというよりも、愛する者を失うとわかっていてもそれでも愛さずにはいられない人間の正の面を描くことに力を入れている。

アナたちはショッピングモールでそれぞれ自分たちなりに楽しみをみつけて生き延びることができてはいるが、それはその場しのぎの気休めといったものに過ぎない。

どこかにゾンビがいない安全な場所があるはずだと、港から船で新天地の島へ出発しようとする。

閉塞感を打破して安らぎの地へ。ユートピアを求めて危険を承知で旅立つアナたち。はたして安らぎの地はあるのか。

この作品はセットアップから最後のエンドロールまできっちり観客をつなぎとめておけるようになっている。

簡潔なセットアップ。興味を惹き続けるエンドロール。「掴み」と「余韻」。

これらは映像作品にかぎらず、いろいろなところに応用できるだろう。参考にしてもらいたい。

有名な作品のリメイクなので、ストーリーにどんでん返しや意外性はないが、時代が変われば描き方がどう変わるかというよい例だ。

ちなみに「28日後(28 DAYS LATER)」のゾンビもダッシュで走る。
こちらはどちらかというと「人間」を描いている。主人公の青年ジムの変貌ぶり(内面・外見・行動力)がみどころだ。

また世界観もしっかりしている(制作にイギリスとオランダが参加している)。

posted by タカ at 17:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | ゾンビ(欧米)
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